結婚して長く一緒に暮らしていると、「仲が悪いわけじゃないのに、なんだか疲れる」
そんな感覚になることがある。
会話がないわけでもない。喧嘩をしているわけでもない。
それでも、距離が近すぎること自体が、しんどさになる
そんなタイミングがあるのだと思う。
「分かり合えている前提」が、少し重くなるとき
夫婦は、長く一緒にいるからこそ、
- 言わなくても分かる
- 察してくれるはず
- 同じ方向を向いている
そんな前提が、少しずつ積み重なっていく。
でもその前提は、知らないうちに負担になることもある。
「分かってほしい」が増えるほど、言葉にしない不満も増えていく。
距離が近い=安心、とは限らない
距離が近いことは、確かに安心につながる。
ただ、
- 一人で気を抜く場所がない
- 役割から降りにくい
- 常に“夫”“妻”でいる
この状態が続くと、気づかないうちに疲れが溜まっていく。
無理に分かり合おうとしない、という選択
最近、意識しているのは、
- すべてを分かろうとしない
- すぐに正解を出さない
- それぞれの余白を尊重する
ということだ。
距離を縮めるより、少し引いて見ることで、楽になる場面もあると感じている。
夫婦の余白は「作る」より「許す」
夫婦関係の余白は、
- 特別な時間をつくる
- 話し合いを重ねる
だけで生まれるものではない。
- 今日は話さなくてもいい
- 今は踏み込まなくていい
そんな余白を許す感覚のほうが、現実的で続きやすい気がしている。
まとめ|近すぎないことも、ひとつの思いやり
夫婦は、近い存在だからこそ、距離感を見失いやすい。
無理に寄り添いすぎず、無理に分かり合おうとしすぎない。
そのほうが、長く穏やかに続く関係もある。
margin-life では、そんな 「ちょうどいい距離感」 も、
これから少しずつ言葉にしていきたい。


コメント